賃金が労働の対価になってないことの理由

日記
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 以前から一つの疑問があった。それはごみ収集のような仕事よりもトレーダーの方が何で給料が高いかということ。給料は労働の対価として支払われる(とされているが、そうなってないと気が付いた)。だとするならごみ収集という仕事は価値がなくて、トレーダーという仕事の方が価値が高いのだろうか?

 ごみ収集の仕事は傍から見ていても大変そうだ。まず、ゴミを扱うこと自体が衛生的によくない。汚い。ゴミ袋の中にどんなものが入っているかわからない。以前何かで読んだ記事には、ゴミ袋に入っていた注射針が手に刺さって、そこから病気になった(どんな病気か忘れたが重病(肝硬変とかだったと思う))人のことが書いてあった。

 衛生の問題以外にも、ごみ収集車自体が危ないものだ。収集車の後部のハッチを開けてそこへゴミ袋を放り込むが、自分が巻き込まれたら大変だ。非常に危険な仕事でもある。

 いわゆる3k仕事だ。ほとんどの人がやりたくない仕事だと思う。自分もやりたくない。でもこの人たちがいないと生活が成り立たない。本当に最重要な仕事だと思う。

 それに対してトレーダー。エアコンのきいた快適なオフィスで、複数のディスプレイを見ながら、PCのキーボードを叩いているだけ。はっきり言って遊んでいるのと変わらない。遊んでいると言われたトレーダーは当然反論するだろうが、ごみ収集の仕事に比べるとやっぱり、遊んでいるようなものだ。

 「全然労働の対価になってないじゃん」

 命の危険さえあり、社会にとって最重要の仕事でもあるごみ収集従事者の給料に比べるとトレーダーの給料は桁が2つも3つも違うだろう。楽な仕事であるトレーダーの方が高給で3kでしかも最重要の仕事の方が安月給とは何事か。やっぱりこの社会はおかしいと以前から思っていた。

 この疑問、「賃金が労働の対価になってないこと」に対するヒントを得るべく「ブルシット・ジョブ くそどうでもいい仕事の理論」という本を読み始めた。分厚い本で、書いてあることも難しい。初めから読んでいくのは大変だと思ったので、自分の興味ある部分を少し読んでみた。

 p272から始まる小節は「仕事の社会的価値とその対価として支払われる金額の転倒した関係について」というタイトル。見つけたぞ。これこそ、自分が知りたかったことだ。

 自分は賃金が労働の対価になってないと思ってきたが、小節のタイトルはもっと過激に仕事の価値と給料が転倒していると書いてある。転倒ということはつまり、反比例で、社会的に価値があるほど給料が低いということだ。

 社会的に価値があるほど給料が低いことの例として(逆に言うとブルシット・ジョブ従事者ほど給料が高い)としてある調査結果が記載されている。

・ シティの銀行家 – 年収約500万ポンド、1ポンド稼ぐごとに推定7ポンドの社会的価値を破壊。
・ 広告担当役員(アドバーダイジング・エグゼクティブ) – 年収約50万ポンド、1ポンド受け取るごとに推定11.5ポンドの社会的価値を破壊。
・ 税理士 – 年収約12万5000ポンド、給与1ポンド受け取るごとに推定11.2ポンドの社会的価値を破壊。
・ 病院の清掃員 – 年収約1万3000ポンド、給与1ポンド受け取るごとに推定10ポンドの社会的価値を産出。
・ リサイクル業に従事する労働者 – 年収約1万2500ポンド、給与1ポンド受け取るごとに推定12ポンドの社会的価値を産出。
・ 保育士 – 年収約1万1500ポンド、給与1ポンド受け取るごとに推定7ポンドの社会的価値を産出。

 調査結果を見て胸のすく思いがした。ただ、もちろん全部の仕事についてそうであるとは限らないが、このような傾向があることは確かなようだ。

 で、疑問の核心部分「仕事の社会的価値とその対価の転倒」の原因についてだが、著者の私見として「階級権力と階級的忠誠が大いに関係していると考えている」とある。このことについての詳しい解説は書いてない(少し読んだ限りは)。続けて本書には次のように書いてある。

 ” おそらくこの状況にかんして最も悩ましいのは、きわめて多数の人びとがこの反比例した関係を認識しているばかりか、それが正しいと感じているように見える事実である。”

 以下、今出てきた「「階級権力と階級的忠誠が大いに関係」と「反比例の関係を正しいと感じている事実」についての自分なりの解釈を書いておく。

 階級権力という言葉の意味はよくわからないが、階級、ヒエラルヒーでの位置と給料が比例するという風に解釈した。組織のヒエラルヒーの上にいくほど給料は高くなることが自明の理となり、末端の者がそれに対しての疑問を持たなくなっているという状態が生じていると解釈。末端は「まあ、そういうもんだ、昔から。偉い人の給料は高いんだ」と疑うことのない状態といってもいい。

 階級的忠誠という言葉もどういうことかわからないが、ある組織に属していることに対する感謝くらいな意味に解釈した。平たい言葉でいうと「仕事をさせてもらえるだけでありがたい」というフレーズになると思う。

 今書いた二つのこと「偉い人の給料は高くて当然」「仕事をさせてもらえるだけでありがたい」が出力するのは次のことだ。

 結局、権力の(あるいは組織の)中枢に近い者ほど楽で必要のない仕事をして高給を得、逆に末端は必要不可欠で大変な仕事を押し付けられ、しかも低賃金。そして、末端はそれを当然のこととして受け取る。

 このように考えると、はるか昔からの慣習と思い込みが(洗脳)が現在も続いているので、労働の価値とそれの対価の転倒が起きていると言えそうだ。

 疑問「賃金が労働の対価になっていない」の答えとしては少し肩透かしを食ったような気もするが、一応は了解した。

 あと、「職業に貴賎なし」という言葉を思い出したが、これも権力者が作ったんだろうな。自分たちのブルシット・ジョブの言い訳として。

おわり

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