エネルギーがあり余っていること

日記
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こんにちは、まさおです。

今日は寒いですね。

11月の陽気だそうです。

風も強いし、一気に季節が進んでしまっているようです。

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気持ちのいい堤防道路を通った

先日、買い物の帰り道、川沿いの堤防道路を通った。車で。

堤防道路はまっすぐ伸び、周りには高い建物がほとんどないので視界も360度開けている。

気持ちよく堤防道路を走っていると自転車が2台連なって、こちらへ向かってくる。

そのすぐ後に白い軽自動車が続く。

2台の自転車に乗っているのは小学校5.6年か中学生くらいの男子。

二人とも競輪選手のように体幹を前に倒して全力で自転車をこいでいる。

その後ろから来る軽自動車は、対向車(私の車)が来るので追い越すこともできず、仕方なく、自転車のあとについている。

この光景を見て「ああ、そういうことか」とすぐに納得した。

自転車を必死でこいでいる二人は後ろの軽自動車と勝負をしているのだ。

自分もたまに(よくか?)そういうことをしたので「やっぱ若いとエネルギーがあるな~」とその男子達の必死の形相を思い出しながら少しニタニタしてしまった。

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トラックと勝負した

自分の小学校は少し小高い丘の上にあった。

朝登校するときは上り坂なので少し疲れたが(小学生なのでたぶん疲れてない)、帰りは適度な下り坂(あまり急な下り坂だとかえって走りにくい)なので友人の家に遊びに行くときなど、よく走って帰った。

帰宅時、この坂を歩いているときに後ろから自動車が近づいてくる音がすると、私は全力で走りだした。

走ろうと思ってから走り出すのでなくて、自動車のエンジン音がすると知らないうちに走りだしているのだ。

何をしているかというと後ろからくる自動車と勝負しているのだ。

どっちが速いかと。





適度な下り坂を駆け下り、トップスピードに達した小学生の私。

後ろから近づいてくるトラックのエンジン音がだんだん大きくなってくるのに少し緊張し、でもまだ抜かれていないと興奮しながら全力で走る。

トラックに並ばれ、その荷台の側面に書かれた「日本通運」の文字がはっきり見える。

「日本通運」の文字と1,2秒は並走する。

「日本通運」に抜かれないように必死で走るが、文字が前方へ移動していくのでだんだん読みにくくなっていく。

トラックの荷台の後ろ面の大きな銀色とナンバープレートが見えると「抜かれた」と力が抜け、走るスピードが遅くなる。

トラックは何事もなかったかのように自分のスピードを保って走り去り、私の視界から消えていった。

こんなことをよくしていた。



エネルギーが余っているとはこういうことだと思う。

エネルギーが余っているからトラックと勝負するし、どっちでもいい余計なことを気にする。



今は小学生、中学生のようなエネルギーはなくなったが、その分余計なことが気にならず、ラクに生活できるようになってきたかな~と思う。

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一瞬でも、強い相手と対等に渡り合うことがもたらす錯覚

でも、何でトラックと勝負したのだろうか?

トラックと並走している一瞬。そのとき小学生の私は、トラックと同じくらい速く走れると錯覚していた。

その錯覚は1,2秒しか続かないが、それが気持ちよかったのだと思う。

その錯覚を味わうために私はトラックと勝負したのだろう。




この錯覚、別のたとえだとこんな感じかな~。

夏の甲子園地方大会。

ある弱小高校野球部が甲子園出場間違いなし(例えば大阪桐蔭とか)の強豪校と対戦。

先攻となった弱小校。

弱小校の攻撃が3者凡退で終わった後の1回裏の守り。

先頭バッターにレフト前ヒットでノーアウト1塁となるが、次のバッターを4-6-3のダブルプレーで打ち取りツーアウト。

3番バッターがヒット性の鋭い当たりを放つが、ショートのポジショニングがたまたま良く、内野ゴロに打ち取る。

弱小校も3人で打ち取ってナインがベンチに戻ってきた。

そのときのセカンドの心の声。

「ちょっと危なかったけど、3人で終わらせた。この調子でいけば結構いけんじゃね?」

「勝てると思わないけど、いいとこまでいけんじゃね?」

このとき、この弱小校のセカンドは、自分たちも強豪校と同じくらい強いと錯覚している。

まあ、この場合かなり醒めた錯覚ではあるが。

でも、この錯覚も気持ちいいものだろう。

1回を終わっただけだが、あの強豪校と対等に渡り合っていると。




このあとぼこぼこに打たれて20対0で5回コールドで負けるのだけど。




若い、エネルギーが余っているってそういうことだと思う。


おわり

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