女性同士の友情と人間の幼児性を描いた小説

読書
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こんにちは。まさおです。

「ナイルパーチの女子会」という小説を読んだ。

幼児性を扱った小説だと思った。

幼児性とは「自分以外の誰かが自分の欲求を満たすように行動することを当たり前と思うこと」とここでは定義した。

赤ん坊は泣けば母親が乳を与えてくれたり、オムツを換えたり、機嫌を取ってくれる。それは赤ん坊だからである。

そのような心理的な特性を持ったまま大人になっていくとどうなるか?それを描いたのがこの小説だと思った。

大手商社に努める30歳の才色兼備のエリートOLの栄利子と「ずぼら主婦ブログ」を書いている翔子が出会う。

栄利子は外見も可憐、頭脳も明晰な一流商社のOLだ。ただ女友達ができない。自分でもどうしてできないのかわからない。

その栄利子が毎日読んでいるブログがある。栄利子と同世代のずぼらな主婦「おひょう」(翔子)が書いているブログ。

女友達ができない栄利子であるがなぜかおひょうとなら友達になれそうな気がしている。

そんな栄利子はたまたま行きつけの店でおひょうと知り合うことができた。

そして数回しか会っていないのに勝手に親友と思い込んだ栄利子がおひょうに対してストーカまがいの異常な行動を仕掛けていく…。

作品の中では栄利子が翔子の弱みを握って無理やり二人で箱根にお泊り旅行に行く場面が出てくる。栄利子の異常性を気持ち悪いと思った。栄利子の傲慢ぶりにひどく腹が立った。 こんな女と絶対に関わりたくないと思う。

物語を読んでいくと栄利子の幼児性の原因がだんだんと明らかになっていき彼女の行動に対しての気持ち悪さや腹立たしさは幾分薄らぐ。それでも気持ち悪い女だと思いながら読んでいた。

幼児性という意味ではもう一人の主人公翔子にもそれあることがだんだんわかってくる。ただ、彼女の方が栄利子のようなグロテスクな奇行が描写されてないぶんかなりましな人に思える。

作品の中盤では栄利子の異常な精神がわかる描写が続きこの小説はどうなるのか?と気が気ではなくなる。気持ち悪かった。

小説の終わりでは翔子も栄利子も自分の中の幼児性に気が付き、新たな人生を歩みだそうとするところで終わる。

希望を感じさせる終わり方で安堵した。

女性同士の友情を扱った小説でもあるが友情に限らず何かを過剰に期待することが苦しみを生み出すことがよくわかる。

幼児性は不幸の一つの原因であり、別の言葉でいうと「傲慢」だと思った。

また、キーパーソンとして栄利子の会社の派遣社員「真織」がいる。
真織はいわゆるヤンキーだったようだ。

幾多の修羅場をくぐり抜けてきたらしくお嬢様の栄利子より何百倍も人生の真実を実体験としてわかっている。

ただ彼女は恵まれない家庭環境で育ったようだ。ヤンキーの女友達の助力と自身の才覚で現在の境遇を手に入れている。

なので女友達を大事にする代わりに家族を軽視しているような風が見える。

彼女は家庭環境が良くなかったことにコンプレックスを持っているようだ。

何不自由なくお嬢様として育てられてきた栄利子と元ヤンと思われる真織。

対称的。奴隷に傅かれて育ってきたような栄利子と泥水をすすって生きてきたような真織。 どっちの人生も大変そうで嫌だなあと思う。

普通でいい。金がありすぎてもなさすぎても問題だと思う。愛情や友情についても。

栄利子は美人で、頭が良くて、いい会社に勤めているという「持っている」人なのだがそれによってそれらを失わないようにするための努力を強いられて不自由になっている。

いわゆるそれらに執着している状態に陥っている。

栄利子は作品の終わりの方ではいわゆるデブスになってしまっている。

そのことによって夜中の3時に外出するのをなんとも思わなくなる。

「みんなが価値があると思うようなもの」をなくすことで以前よりも自由になっていてなんか皮肉だなあと思った。

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