知の営みへのブートローダーとなる辞書引き学習

日記
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こんにちは。まさおです。
今朝の新聞には「辞書引き学習」の記事が載っていました。それについてよく知らずに「効果がなさそうだ」と思ったのですが、調べてみると効果の高そうな学習法でした。

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知の営みへのブートローダーとなる辞書引き学習

辞書引き学習は単なる作業?

記事に添えられた写真には、小学校低学年くらいの男の子が机に向かって座っている姿が写っている。机の上には小ぶりな樽か米俵のような円筒形のものが置かれている。

円筒形の物体は樽ではなく辞書だった。ぱっと見、辞書には見えない。

4万もの付箋が辞書のページ上部余白に貼られて膨れ上がり、樽のような姿になっていた。

その記事には「辞書引き学習」のことが書いてあった。

その学習法の詳細は書いてなかった。記事を読んで最初に思ったのは「効果あるのか?」という疑問だ。

自分が勝手に想像した辞書引き学習とは次のような感じだ。

教科書、本などを読んで知らなかった単語を辞書で引いたら、そこに付箋を貼るということだろうと。「これ、単なる作業じゃないのかな~?」と思った。

よく知らないくせに勝手なものだが、何で「単なる作業じゃないかな~」と思ったのは自分の体験による。

中学時代の宿題 英単語の書き取り作業

自分が中学生の時、英語の教師はある宿題を毎日課した。教科書に出てきた新出単語か、わからなかった単語の書き取りだ。

書き取りに使うノートは楽譜のように横に罫線が引かれているものが指定された。楽譜は罫線が5本で1行になっているが英語の罫線ノートは4本で1行になっている。

一つの単語を2行か3行(だったと思う)繰り返し書くよう指示された。

例えば、dogが新出だとする。ノートの1行に dog dog dog dog… と書いていく。

書き始めこそdogと書いているのを意識しているが、2行目になると単なる○と縦線を書いているだけという感覚に陥る。3行目を書いているときはゲシュタルト崩壊していたと思う。

完全にやらされている宿題なので、できるだけはやく片付けてしまおうという意識しかなかった。英単語を書いて記憶するというよりは○と線を書く筆記練習のようになっていた。

この宿題自体は無意味だったと思う。特に、英語の成績など半ばあきらめてどっちでもいい生徒にとっては単なる作業でしかなかった。

何かを記憶するとき、例えば英単語を記憶するとき、単に黙読するよりもそれを書いて記憶しようとしたり、その音声を聞いたり、自分で発音したりして体を使ったほうが記憶の定着がよくなると言われている。

アウトプット大全や知の整理術にそう書いてあった。

だから書いて覚えるという学習法を全面的に否定しているわけでもない。

ただ、英語のその宿題は自分にとっては手を動かして鉛筆の芯を減らすという単なる作業だった。

そういう記憶があるから「辞書引き学習」も単なる作業に堕しているのではないか?と疑問を持ってしまったのだ。

辞書引き学習

どのような学習法かネットで調べてみた。次のような感じだ。

学習の対象は小学校低学年。できるだけ早い時期に開始したほうがいいらしい。

①国語辞書(小学生用。本人が読んで理解できる辞書)を開き、知っている単語を探す。

②単語の意味は無理に読まなくてもいい(そのうち勝手に読むようになるそうである)。

③付箋に通し番号と調べた単語を書き、そのページの上部余白にそれを貼る。

④単語の意味を読むようになったら、その意味の中に出てくるわからない単語をさらに引く。引いたページにも同様に付箋を貼っていく。

辞書引き学習は、わからないことがあったら自分で調べるという行為を習慣化し、楽しみとするように促す、ということが目的のようだ。

辞書引き学習を続けていくと付箋が増えていく。付箋が増えるのは目で見てわかる。学習量が付箋の数で一目でわかり達成感が得られるという仕組みでもある。

辞書引き学習がある程度進むと、子供たちはいろいろなことに興味を持ち始め、今まで読んだことのなかったような本を読み出すようになったりするのだろう。

ここまでわかると、これはいい方法なのではと思うようになった。

家に百科事典がある子供はたいていそうだと思うが、興味本位でそれを読み始め、面白いからさらにどんどん読む。そうするとわからないことが出てくるからそれを引いて調べる。

それを繰り返しているうちに知識は蓄積されていく。本人は面白いからやっているだけなのだが。

辞書引き学習はそれと似たことを意識的にやらせるものだと思った。

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